集会の自由の意義
集会とは、多数人が共通の目的をもって一時的に一定の場所に集まることをいいます。集会の自由は表現の自由の一形態として、自己実現と自己統治の価値を有します。
判例も、現代民主主義社会においては集会は国民が様々な意見や情報等に接することにより自己の思想や人格を形成し発展させ、また相互に意見や情報等を伝達し交流する場として必要であり、さらに対外的に意見を表明するための有効な手段であるから、憲法21条1項の保障する集会の自由は民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないと判示しています。
集会の自由の特質
集会の自由は純粋な言論や出版の自由と異なり、多数人が集合する場所を前提とする表現活動であり、潜在する一種の物理的力によって支持されていることを特徴とします。そこで、集会の自由に対する独自の規制も必要となり、集会の態様によっては集会の自由の保障の範囲外となるものがあります。たとえば暴力を伴い又は暴力的で騒乱的な事態を惹起する可能性の高い武器をもっての集会は、憲法上保護される集会には当たらないと一般に解されています。
もっとも、集会の自由の重要性に鑑みれば、集会の参加者のうち一定の者が暴力的な行動に出たとしても、直ちにその集会全体を暴力的な集会と捉えて憲法上保護されるべき集会から排除するのは妥当ではないとされています。
一方、集会の目的は一般に問わないと解されており、政治的な集会から冠婚葬祭などの目的での集会も等しく集会として保護されます。
集会の自由の内容
集会の自由には、集会を開催し又は集会に参加することを公権力によって妨害されない自由、すなわち積極的集会の自由だけでなく、集会を開催せず集会に参加しない自由、すなわち消極的集会の自由もその内容に含まれます。消極的集会の自由とは、集会の開催や参加を公権力によって強制されない自由のことです。
なお、集会の自由は道路や公園、公会堂といった場所や施設の設置や提供を請求するという積極的な権利までは含まないとされています。公共の施設として設けられたものではない場所や施設を公共の施設と同様に扱うよう請求する権利を導くことも困難であるとされています。
パブリック・フォーラム論
パブリック・フォーラム論とは、表現活動のために公共の場所を利用する権利は、場合によってはその場所における他の利用を妨げることになっても保障されるとする理論です。
この理論が形成されたアメリカの判例は、公共財産を3つに区分しています。第一に伝統的パブリック・フォーラムとして道路や公園、広場などがあります。第二に指定的パブリック・フォーラムとして公民館や集会場、公会堂などがあります。第三に非パブリック・フォーラムとして公立病院や軍事施設などがあります。伝統的パブリック・フォーラム及び指定的パブリック・フォーラムにおける表現規制については表現内容中立的な時や場所、方法についての合理的な制限しか許されないとされ、非パブリック・フォーラムにおける表現規制については管理権者の広範な裁量が認められ、主題規制は許されるが見解規制は許されないとされています。
我が国の最高裁判例でこの理論を明確に採用したものはありません。なお、泉佐野市民会館事件判決はパブリック・フォーラム論を念頭に置いているものと解されています。また、吉祥寺駅ビラ配布事件及び大分県屋外広告物条例事件において伊藤正己裁判官が補足意見でパブリック・フォーラムについて言及していますが、パブリック・フォーラムの対象が公共財産に限定されない点やパブリック・フォーラムであるという性質が審査基準の決定ではなく個別的利益衡量の際に考慮される点など、上記のパブリック・フォーラム論に独自のアレンジを加えたものと解されています。
集会の自由の限界
集会の自由は多数人が集合する場所を前提とする表現活動であり、行動を伴うこともあるため、他者の権利ないし利益と矛盾し衝突する可能性が高いとされています。そこで、道路や公園などの他の利用者の権利や利益との調整や、集会の競合による混乱の回避が必要になります。
公物管理権に基づく規制
公共施設は管理権者の許可を受けなければ使用できないとされるのが一般ですが、公共施設を使用して集会することは憲法で保障された国民の権利や自由であるため、利用の許可は管理権者の自由裁量に属するものではないとされています。
皇居前広場事件
メーデー記念集会に使用するため皇居外苑の使用許可を要請したが不許可処分となった事案において、最高裁大法廷は次のように判示しました。国が直接公共の用に供した財産である公共福祉用財産の利用の許否は、その利用が公共福祉用財産の公共の用に供せられる目的に副うものである限り管理権者の単なる自由裁量に属するものではなく、管理権者は当該公共福祉用財産の種類に応じまたその規模や施設を勘案しその公共福祉用財産としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであるとしました。若しその行使を誤り国民の利用を妨げるにおいては違法たるを免れないとしました。
もっとも、本件不許可処分は管理権の範囲内に属する国民公園の管理上の必要からメーデーのための集会及び示威行進に皇居外苑を使用することを許可しなかったのであって、何ら表現の自由又は団体行動権自体を制限することを目的としたものでないことは明らかであるとして、違憲ではないとしました。
泉佐野市民会館事件
公共施設である市民会館の使用許可の申請を条例の定める「公の秩序をみだすおそれがある場合」等に該当するとして不許可にした処分の違憲性が争われた事案です。
最高裁は、集会のように供される公共施設の管理者が利用を拒み得るのは、利用の希望が競合する場合のほか、施設をその集会のために利用させることによってほかの基本的人権が侵害され公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られるものというべきであるとしました。
そして、集会の開催に対する制限が必要かつ合理的なものとして肯定されるかどうかは、基本的には、基本的人権としての集会の自由の重要性と当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容や侵害の発生の危険性の程度等を較量して決せられるべきものであるとしました。このような較量をするに当たっては、集会の自由の制約は基本的人権のうち精神的自由を制約するものであるから、経済的自由の制約における以上に厳格な基準の下にされなければならないとしました。
条例の「公の秩序をみだすおそれがある場合」という文言について、最高裁は広義の表現を採っているとはいえ、会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、会館で開かれることによって人の生命や身体又は財産が侵害され公共の安全が損なわれる危険を回避し防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであるとしました。そしてその危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当であるとしました。
さらに、この事由の存在を肯認することができるのは、そのような事態の発生が許可権者の主観により予測されるだけでなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合でなければならないとしました。
敵意ある聴衆の法理
主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想や信条に反対する他のグループ等がこれを実力で阻止し妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことは、憲法21条の趣旨に反するとされています。
もっとも、泉佐野市民会館事件では、本件集会の主催者が過激な対立抗争をしていた他のグループの集会を攻撃して妨害し人身に危害を加える事件も引き起こしていたことから、他のグループからの報復や襲撃を受ける危険に対し会館の管理者が警察に依頼するなどしてあらかじめ防止することは不可能に近かったとされました。したがって、平穏な集会を行おうとしている者に対して一方的に実力による妨害がされる場合と同一には論ぜられないとされ、客観的事実から集会が会館で開かれたならばグループ間で暴力の行使を伴う衝突が起こるなどの事態が生じ、その結果グループの構成員だけでなく会館の職員や通行人、付近住民等の生命や身体又は財産が侵害されるという事態を生ずることが具体的に明らかに予見されることを理由とするものと認められるとしました。
上尾市福祉会館事件
労働組合幹部の合同葬に使用するため福祉会館の使用許可申請をしたところ不許可処分を受けた事案です。
最高裁は、公の施設として集会の用に供する施設が設けられている場合、住民等はその施設の設置目的に反しない限りその利用を原則的に認められることになるので、管理者が正当な理由もないのにその利用を拒否するときは憲法の保障する集会の自由の不当な制限につながるおそれがあるとしました。
そして、主催者が集会を平穏に行おうとしているのにその集会の目的や主催者の思想や信条等に反対する者らがこれを実力で阻止し妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことができるのは、公の施設の利用関係の性質に照らせば、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られるとして、不許可処分は違法であると判示しました。
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