法人の犯罪能力
刑法典は行為の主体として自然人である個人を前提にしてきましたが法人自体の責任を問うことができないかその前提として法人の犯罪能力が問題となります。
犯罪能力否定説は法人は意思及び肉体を有しない擬制的存在であるから行為能力がないこと、責任は行為者人格に対する非難であるから倫理的実践の主体でない法人は責任を負担する能力がないこと、自由刑を中心とする現行の刑罰制度は法人の処罰に適合しないこと及び法人の機関を担当する自然人を処罰すれば足りることを根拠とします。
犯罪能力肯定説は法人も機関の意思に基づいて機関として行動するから行為能力を有すること、法人の意思に基づく行為が認められる以上は法人を非難することも可能であること、法人に適した財産刑が存在しており法人の解散や営業停止などの制裁を加えることによって法人の違法行為の責任を追及しそれを防止するのに有効な刑罰を設けることが可能であること及び法人においては機関の意思は集団的に決定されてその結果は法人に帰属するのであるから個人としての行為者だけが処罰されるのであれば個人を犠牲にしながら法人は何らの痛痒も感じないことになり法人自体の違法行為を抑止できないことを根拠とします。
両罰規定の根拠
両罰規定とは従業員の違反行為につき当該従業者本人を処罰するとともにその業務主である法人や自然人をも併せ処罰する規定です。刑法は個人責任の原則を採用しており他人の行為に対する責任を負わせるのは責任主義に反することからどのような根拠に基づくのかが問題となります。
無過失責任説は行政取締目的から従業員の責任が無過失的に法人に転嫁されるとする見解です。故意又は過失がない限り処罰されないという責任主義に反するとの批判があります。この見解は法人の犯罪能力を否定し両罰規定は受刑能力を肯定するものとする見解から主張されます。
過失責任説は事業主の従業員に対する選任監督上の過失を根拠とする見解です。過失擬制説は事業主は過失の不存在を立証しても免責されないとし実質上無過失責任説と変わりがないとの批判があります。過失推定説は事業主は過失の不存在を立証してはじめて免責されるとする見解であり判例はこの立場をとっています。過失の不存在の立証責任を被告人側に負わせるものであるから過失が積極的に認められなくても被告人が処罰されることになり責任主義に反するとの批判があります。純過失説は事業主は過失の存在が立証されてはじめて処罰されるとする見解です。行政刑法における取締目的という合目的性を無視することになるとの批判があります。過失責任説は法人の犯罪能力を肯定する見解になじみます。
判例は事業主が人である場合の両罰規定について従業員の選任や監督その他違反行為防止について事業主が必要な注意を尽くさなかった過失の存在を推定したものであり事業主が注意を尽くしたことを証明しない限り刑責を免れないとしています。この法意は事業主が法人で行為者がその代表者でない従業員である場合にも当然推及されるべきであるとされています。
事業主を処罰するためには現実に行為者を処罰しなければならないものではなく従業員を処罰しないで事業主だけを処罰しても差し支えないとするのが判例です。また従業員が既に死亡していたとしても事業主を処罰できるとする判例もあります。
三罰規定とは従業員の違反行為につき当該従業者本人を処罰するほかその業務主たる法人や自然人及びその法人の代表者や中間管理職をも処罰する規定をいいます。三罰規定があるときは法人の代表者も処罰される場合があります。
結果的加重犯の構造
結果的加重犯の成立に加重結果について過失が必要かどうかが責任主義との関連で問題となります。
過失不要説は基本犯と加重結果との間に因果関係が必要でありかつそれで足りるとする見解です。基本犯について故意が認められる以上は責任主義の要請はみたされておりあとは因果関係の問題にすぎないこと及び相当因果関係説によれば処罰範囲の限定は十分であることをその根拠とします。判例はこの立場をとり傷害致死罪の成立に暴行と傷害致死の結果との間に因果関係が存在することは必要であるが被告人において致死の結果を予め認識し予見する可能性は必要でないとしています。
過失必要説は基本犯と加重結果との間の相当因果関係とともに重い結果の発生につき行為者の過失が必要であるとする見解です。結果的加重犯は基本犯と重い結果の結合した特殊な犯罪類型であるから基本犯の関係で責任主義がみたされただけでは足りず責任主義の徹底の見地からは加重結果との関係でも主観的責任が必要であることをその根拠とします。この見解によれば結果的加重犯は基本犯である故意犯と加重結果についての過失犯の複合形態であると位置づけられます。
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