第3章の表題の趣旨
日本国憲法第3章の表題は「国民の権利及び義務」となっていますが、義務に関する規定はわずかであり権利に関する規定が大部分を占めています。これは、臣民の義務に傾斜しすぎた明治憲法とその運用のあり方に対する反省の趣旨を持つものです。
人権宣言の萌芽
人権の思想はイギリスにおいて歴史的に最も早く登場しました。1215年のマグナ・カルタ、1628年の権利請願、1689年の権利章典は、近代人権宣言の前史において大きな意義を有します。もっとも、これらの文書で宣言された権利や自由はイギリス人が古来から有する権利や自由であり、人権というよりも国民権というべきものでした。封建的な国民権が近代的かつ個人主義的な人権へと成長するには、ロックやルソーなどの説いた自然権の思想および社会契約の理論による基礎付けがなされる必要がありました。
人権宣言の成立と各国の展開
イギリスでは、1688年の名誉革命を経て1689年に権利章典が定められました。同年にロックが市民政府論を著し、自然権思想の理論的基礎を築きました。
アメリカでは、1776年にヴァージニア権利章典が制定され、天賦人権思想を初めて宣言したものとされています。同年に独立宣言が出され、1788年に合衆国憲法が制定されましたが、制定当時は人権規定が存在せず、1791年に修正10カ条として人権規定が追加されました。なお、アメリカ合衆国では合衆国憲法のほかに州憲法も定められています。
フランスでは、モンテスキューが1748年に「法の精神」を著し、ルソーが1762年に「社会契約論」を著した後、1789年にフランス人権宣言が出されました。フランス人権宣言はアメリカ諸州の人権宣言と基本思想を同じくしますが、重要な違いもあります。第一に、アメリカの人権宣言がイギリス人の伝統的な諸自由を自然法的に基礎付け確認したものであるのに対し、フランス人権宣言は新しい網羅的な性格を持つ人権を抽象的に描いたものです。第二に、フランスでは「法律は一般意思の表明である」という立法権優位の思想によって「立法権をも拘束する人間に固有の権利」という自然権の思想の意味が相対化され、人権は主として行政権の恣意を抑制する原理と考えられました。フランスでは18世紀以来現在に至るまで十数回にわたり憲法が制定されています。
ドイツでは、1849年のフランクフルト憲法、1850年のプロイセン憲法を経て、1871年にビスマルク憲法が制定されました。1919年のワイマール憲法は社会権を強く表明する点で特徴があります。
日本では、プロイセン憲法を範とした1889年の明治憲法が制定されましたが、法律の留保を伴う人権規定が多く存在しました。1946年に日本国憲法が制定され、現在に至っています。
イギリスとアメリカの展開
イギリスでは、1859年にJ・S・ミルが「自由論」を著し、自由の理論的発展に貢献しました。その後、1946年の国民保険法や1948年の国民扶助法など社会保障立法が進められました。
アメリカでは、1865年の修正13条と1868年の修正14条により権利保障が拡大されました。その後、経済的自由権を積極的に審査する司法部門と、ニューディール政策を行う政治部門が対立していましたが、1938年のカロリーヌ判決によっていわゆる二重の基準論が示され、その後の判例が構築されるに至りました。
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