君主主権論と人民主権論

絶対王政の確立期において、主権のあり方をめぐって2つの立場が対立しました。君主主権論は、国王は直接神により主権を授けられたとする考え方であり、人民主権論は、国王は人民が有していた主権を契約により授けられたとする考え方です。この時期の対立点は、神が創造した主権を国王が所持し行使することの正当性の根拠にありました。

絶対王政と君主主権が確立した後、社会契約論の登場によってこの対立点に変動が生じます。社会契約論によれば、権力は契約によって生み出されるものですから、少なくとも初めにおいては権力の主体は契約参加者全員すなわち人民であるとして、当然に人民主権が帰結されます。これにより、主権を所与の存在として捉えるのではなく、主権はどのような性格のものか、どのように生み出されるのかという点が対立の焦点となりました。

ナシオン主権とプープル主権

フランス革命により、君主主権に支えられたアンシャン・レジームは打ち倒され、その革命は人民主権論により正当化されました。

その後、どのような政治体制を打ち立てるべきかという点で対立が生じ、当初は上層ブルジョアジーに支えられたナシオン主権が採用されました。やがて政治の主導権が下層に移行するにつれてプープル主権が優勢となりましたが、その後再び上層ブルジョアジーが主導権を取り戻したことで、ナシオン主権が勝利し、以後これが近代立憲主義の主権原理として徐々に定着していくことになります。

ナシオン主権は1791年憲法で採用されました。主権者はナシオンであり、ここでいう国民は観念的統一体としての国民を意味し、具体的な人間の集合体という意味ではありません。権力は授権によってのみ行使しうるため、代表制がとられます。代表機関の意思に先行するナシオンの意思は存在しないとされます。また、ナシオン主権では国家権力の正当性の根拠が国民にあるという正当性の契機が重視されます。制度面では制限選挙と自由委任が結び付きます。歴史的には、絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されることを抑圧する現状維持的な機能を持っていました。

プープル主権は1793年憲法で採用されました。主権者はプープルであり、ここでいう国民は具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民を意味します。国民が直接権力行使を行うため、直接民主制が徹底した形となります。代表機関の意思のほかにプープルの意思が存在するとされます。主権の権力的契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープルです。制度面では普通選挙と命令委任が結び付きます。歴史的には、市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして現状変革的な機能を果たしました。

「権力への自由」の実質化

資本主義の発達のもと、自由の物質的基礎を奪われている者がその獲得を政治に求めるには、各人が現実に置かれている状況のなかでの要求を政治の場に持ち出す必要があります。そのためには、様々な状況に置かれているすべての者に発言権が与えられる必要がありました。こうして、権力への自由の要求は、まず普通選挙の要求として現れました。

普通選挙の確立により、政党政治が生まれる契機が作られ、また代表制の理念が変容しました。なお、普通選挙といっても最初は成年男子に限られ、第一次世界大戦以降になって初めて女子への拡張の兆しが現れました。

代表制の理念の変容について見ると、それまで定着していたナシオン主権のもとでは、代表者は選挙民の意思に拘束されることはないとされていました。代表者は選挙民よりも優れた能力を持つはずであり、被選挙権についての厳しい財産制限がそれを担保していたことが、自由委任の根拠とされていました。しかし、普通選挙の確立によってその担保が失われたため、再選を望む代表者はもはや選挙民の意思に拘束されずに自由に行動することはできなくなりました。これに政党規律による拘束が加わり、半代表や社会学的代表の観念が現れてきました。

「主権」の意味

主権の概念は、一般に3つの異なる意味で用いられます。

第一に、国家の統治権という意味があります。これは国家権力そのものを指す場合です。なお、日本国憲法は国家権力そのものを表す場合には「国権」という用語を使っています。

第二に、国家権力の属性としての最高独立性という意味があります。これは、国内においては最高であり、対外的には独立であるという国家権力の属性を指します。

第三に、国政についての最高決定権という意味があります。国の政治の在り方を最終的に決定する権限を指し、前文1段の「ここに主権が国民に存することを宣言し」や1条の「主権の存する日本国民の総意」がこの意味で用いられています。

「国民」の意味

日本国憲法では国政についての最高決定権としての主権は国民に存するとされていますが、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、有権者の総体と考えるべきかが問題となります。これは、国民主権の原理における権力的契機と正当性の契機をどのように考えるかという点と関連しています。権力的契機とは、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという側面を指します。正当性の契機とは、国家の権力行使を正当付ける究極的な権威は国民に存するという側面を指します。

有権者主体説は、「国民」は有権者の総体であると考えます。この立場では、主権とは憲法制定権を意味し、一定の資格を有する国民すなわち選挙人団が保持する権力として捉えられ、国民主権の権力的契機が重視されます。直接民主制と密接に結び付き、憲法改正手続における国民投票は国民主権の権力的契機の現れと位置付けられます。また、憲法制定権の主体としての国民には天皇は含まれず、権能を行使する能力のない未成年者も除外されます。この説に対しては、全国民が主権を有する国民と有しない国民に二分されることが民主主義の基本理念に反すること、選挙人の資格は法律で定めるとされているため国会が主権を有する国民の範囲を決定することになること、代表民主制を国政の原則とする前文の文言と必ずしも適合しないことが批判として挙げられます。

全国民主体説は、「国民」は老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、観念的抽象的に想定される全国民という統一体であると考えます。この立場では、主権とは国家権力行使の正当性を基礎付ける究極的な権威を意味し、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であるとして、国民主権の正当性の契機が重視されます。この説に対しては、権力的契機に関心を持たないため独裁制とも両立しうること、国民投票のような直接民主制の制度について説明が困難になることが批判として挙げられます。

折衷説は、「国民」は有権者すなわち選挙人団と全国民の両方を含むと考えます。この立場では、「国民」が全国民である限りにおいて国民主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるとしつつ、同時にその原理には、有権者の総体としての国民自身が主権の最終的な行使者すなわち憲法改正の決定権者であるという権力的契機が不可分の形で結合していると考えます。

なお、国民主権の観念はもともと君主主権への対抗関係のなかで生まれ主張されたものです。君主主権であれば国民主権ではなく、国民主権であれば君主主権ではないという相反関係にあります。

国家法人説

国家法人説は、19世紀の立憲君主制下のドイツで展開された理論です。この理論は、国家は法的に1つの法人であり、意思を有する権利すなわち統治権の主体であって、君主や議会、裁判所は国家という法人の「機関」にすぎないと考えます。そして、君主主権か国民主権かという問題は、国家の最高意思を決定する最高機関の地位に君主がつくか国民がつくかの違いにすぎないと説明します。

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